はじめに
教会の活動の中心は、毎日曜日(キリスト教用語で主日と言います。主イエス・キリストが復活された毎週の記念日のことです)に行なわれる礼拝です。これを「聖餐式(せいさんしき)」といいます。
主イエス・キリストが十字架につけられて処刑される前の晩、それまで主イエス・キリストと行動を共にしていた弟子たち(12人の使徒)と共に夕食をされました。この夕食が「最後の晩餐」です。この晩餐は、主イエス・キリストが処刑される直前に、弟子たちに対してご自分の活動を継続するようにと願って、なされたものです。ヨハネによる福音書によれば、主イエス・キリストは食事をなさりながら、他の人たちの足を洗うことの大切な働きを自らお示しになり、人々に仕えること、人々のために、自分の問題をさし置いても尽くすことの大切さを教えられました。
この時以来、教会はその教えを守るために生き続けてきたのです。時には教会も大きな過ちを犯しましたが、そのたびに教会が与えられている悔い改めの力によって、主イエス・キリストがお示しになった道にたちかえる努力を積み重ねているのです。
皆さんを私たちの仲間にお招きしようとするときにはいつでも、日曜日の礼拝に出席していただいて、私たちの活動の根拠となる主イエス・キリストの教えを、共に学んでくださるように願っております。そこから、私たちは心を一つにして、多くの人々のために仕える働きが始められると確信しております。
礼拝(聖餐式)では、ちょうど主イエス・キリストが教えを残されたと同じように、聖職者が主イエス・キリストのみ言葉を引用しながら、現在、今この時に、私たちが取るべき生き方を語ります。聖職者も人間で、主イエス・キリストご自身ではありませんから、完全な教えをお伝えすることはできません。でも、主イエス・キリストに似るための生き方をお伝えしようと、一生懸命です。
教会はこのように、主イエス・キリストの働きを現在においても実現しようとする人々の集まりであることを、先ずご理解いただきたいと存じます。それは、ちょうど最後の晩餐によって弟子たちが任務を与えられたように、私たち一人一人にとっての最後の晩餐(または主の晩餐ともいいます。)である聖餐式に参加し、実際に体験することから私たちの働きが開始されると確信しているからです。
洗礼・堅信式の意味
このようにクリスチャンになるということは、主イエス・キリストの弟子の一人となって、聖餐式に参加することなのです。そのためには、どうしても一つの条件を満たしてくださるように、お願いしなければなりません。それが洗礼と堅信を受けるということです。
私たち教会の仲間になってくださるために、私たちは皆さんと約束をしたいのです。その約束とは、「主イエス・キリストに従い、主イエス・キリストとともに、そして私たち教会とともに、さまざまな喜びや悲しみ、幸せや苦しみを共にしようという約束です。私たちは、皆さんが私たちと一緒に同じ道を歩いてくださるように心から願っているからです。その約束の形が、洗礼(「聖洗式」と言います)なのです。
もちろん、皆さんだけが約束をするのではありません。洗礼の時には私たち教会も、洗礼を受けた皆さんに約束をいたします。「これからこの世界を一緒に歩いていこう」という約束です。皆さんを私たち教会の仲間として受け入れる、感激的なお約束です。その瞬間、洗礼を受けた皆さんは私たちと共に主イエス・キリストの弟子の一人となり、主イエス・キリストの後継者として教会の活動に参加なさるようになるのです。
さらに私たちは、人々のためにはたらくことをその使命と確信しておりますから、そのような人々の中に入って行かなければなりません。では、「人々」とはどのような人々でしょうか。私たちの周囲にいる人々が、先ず私たちにとって仕えるべき人々です。私たちが「その人々のために」と考えるべき人々です。家庭、学校、職場、どこであっても私たちが出会う人々です。出勤の途中で、行楽地で、レストランで、まさに何処でもです。私たちはこのようなさまざまな場所や人々に向かって、主イエス・キリストによって「派遣」されていると考えております。
洗礼とともに、教会ではこの「派遣」のための大切な機会が設けられております。それが「堅信式」です。この式の中で全教会を代表する「主教」から頭に手を置かれ、派遣の確認がされます。同時に、堅信式で教会は、私たち自身に与えられている神様の力が、私たちの中で働いてくださることを確認いたします。
洗礼や堅信式をお受けになろうとお考えの方には、それに先立って牧師と一緒にキリスト教を学ぶ機会が用意されております。どのような方でも結構ですので、お気軽に、牧師や聖職者にご相談、お問い合わせ下さい。
洗礼・堅信式のための学び
また、キリスト教にはたくさんの興味深い事柄が含まれています。中には多少難しいこともあります。しかし、聖書とともにキリスト教の学びは、現代世界に見られる多くの理解しにくい問題への解答をも、発見することができます。実際、世界の状況を十分に理解するために、キリスト教の語ることは非常に大切だと思われます。また、いま、世界の直面している諸問題にキリスト教がどのように答えているか、などは多くの人々に聞いていただきたいと願っていることなのです。
基本的な問題については、岩城聰司祭(大阪教区司祭)著「聖公会の教会問答」、竹内謙太郎司祭(元聖アンデレ教会牧師)著「教会に聞く」(いずれも聖公会出版)という本が助けになるでしょう。
また、ご希望の皆さんには、聖アンデレ教会牧師の説教集が用意されておりますので、教会にお出でになった際などにご遠慮なくご請求ください。無料でお頒け致します。
(また、さらにさまざまなことにご興味のある方は、このホームページの「キリスト教について」の項目をご覧ください)
新たな歩みに向かって
さあ、出発いたしましょう。私たちの力や助けを必要としている多くの人々のために、ご一緒に働きましょう。「聖餐式」という、主イエス・キリストの与えてくださる食事によって力を増し加えていただき、共に働こうとしている多くのクリスチャンと力を合わせて、主イエス・キリストの活動が私たちの活動となりますように、共に祈り、共に働きましょう。
聖職者たちはいつでも、働きにつかれた皆さん、困難にぶつかって苦しむ皆さん、挫折した皆さん、そして傷ついた皆さんのために、主イエス・キリストの食事を用意して待っております。皆さんと共に疲れ、困難に苦しみ、挫折し、傷つきながら、皆さんの癒しのための準備を怠りません。そして皆さんと共に、神様からの大きなお恵みが与えられることを喜びたいのです。ご一緒に神様を讃美し、感謝を捧げたいのです。私たちが仕えている人々への祈りを、共にいたしたいのです。